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2016年01月02日

Tao塾通信☆No32☆2014/8/31

最近、youtubeで昔の名人の落語を見ています。
高校生の頃から、テレビやラジオで好きな落語家さんが
落語を演じると、すべて録画、または録音していたくらいに
落語好きでした。学習院の先生のときにも落語界という月刊誌を
読みながら電車に乗っていたら、偶然乗り合わせた生徒から
「先生!偉いなぁ。電車のなかでも英語の勉強?」と言われました。
英語の先生だったので、粗忽なその子は落語界を英語界と読み間違えたらしい。
表紙に落語家の似顔の漫画がついているの見えなかったか^^;;

で、落語、なかなか奥が深いんですよ。
今日は落語とスピリチュアルとの意外な関係♪

以下は桂枝雀師匠の【宿替え】の一コマ。

宿替え。。。引っ越しのことですね。
この落語は東京では【粗忽の釘】とタイトルが変わります。
粗忽な男が、引っ越しの荷物をまとめるところから
噺はスタート。しっかりものの奥さん相手に
引っ越し荷物を大風呂敷に積みながら、こんな話をします。

********************

コタツ・・・暑いときにはなんでこんなものがあるかなぁって思う
でも寒くなれば、コタツさまコタツさま・・お願いしますとなる。
暑い時にも、ツ・ネ・ニ・・感謝の念を忘れないようにしなければならない・・・

90歳の婆っさまが3年間つかっていたおまる。。。
キレイに洗ってあるのだから、そのなかにお稲荷さんのお道具と
金神さまのお道具を入れて持ってきなさい!
えっ、罰があたる??神さまや仏さまは、あなたのように
選り好みするようなお方じゃぁありませんよ~。
どのような不浄のなかにも、すすんで飛び込んでいこうというような
心のひろ~いお方ばかりですよ!!

引っ越すときに、この家には2度とこないのだから
【あとは野となれ山となれ】、、、というのではダメですよ!
【立つ鳥跡を濁さず】のほうをとりましょう。

☆大風呂敷にコタツ、米びつ、おまるに針道具等々。
 どう考えても重すぎるものをいれ、最後に竹とんぼを
 のせて、持ち上げようとしても持ち上がらず・・・・
 「ちょっと、その竹とんぼをとってください」と奥さんに頼む。。。
 「竹とんぼ、とったくらいじゃ変わらない」と奥さんに言われて
 枝雀さん演じる粗忽な旦那さんは、こう言います。

人間というものは神経のものですよ。
神経が着るもん着て、はくもんはいて
ウロウロしているのが人間です。

☆竹とんぼがなくなったと思うだけで、氣分がかわって
 持ち上がるのだ。。。というわけです。
 で、当然、持ち上がらない・・・
 おくさんに「とったのか?」と訊くと「とった」という答え、、、
 すかさず、旦那はこう言う。


「とった」といわなければ、肝心の神経がわからないでしょ!
言葉が大事なんですよ。言葉が。。。

************************

 まぁ結局、次々と風呂敷に入れた物を文句タラタラで
 どかしていくのですが、文句言うまえのセリフだけきくと
 なかなか奥の深い言葉の連続じゃありませんか?

 暑い時にもコタツに感謝することを忘れない・・・・
 うぬぅ。なかなか思いつかない。
 爪がないだけで、落ちている紙を拾うことも
 本のページをめくることも、プルトップのカンを
 開けることもできない。痒い背中を
 爪のない指でかいたことあります?イライラしますよ~!
 でも、そんなこと爪があるうちは忘れてる。
 必要なときや、無くしたときに感謝するのではなく
 いつでも、そしてあたりまえと思うことにも感謝をしなさいって・・
 落語なかなかすごいです。

 神さまや仏さまは、どのような不浄のなかにも飛び込んでいく!!
 そうなのね。なるほどぉぉぉ。
 フィンドホーンをつくったアイリーン・キャディさんは
 家族とキャラバンカーで暮らしているとき
 公衆トイレで瞑想しなさいと内側から言われ
 毎日、寒くて臭い公衆トイレで神と対話をしていたそうです。
 それが【神は私にこう語った】という本になった。

 ニームカロリババは、鬱蒼としたジャングルのなか
 子どもたちが土葬され、幽霊がでると言われている場所に
 ハヌマーンの寺院を建てて、波動をあげ
 火葬場で死体を食べたり不浄なものを
 食べる鬼のような邪道を歩む存在であっても
 神に心を集中するならば堕落することはないと言いきった。

 我がハイヤーセルフは【浄化とは不浄なものなど
 この世にはないという氣づきにほかならない】と言った。。。
 って、落語から、ここまで飛躍するなって・・そうですよねぇ。

 そして最後の【人間は神経のものですよ】
 これ枝雀さんの実感だったのでしょうね。
 「とった」と言わなければ、氣持ちもかわらんだろうが・・・が
 笑えます。もちろん氣持ちが変わったところで、
 これだけ積んでいたら重たすぎて持ち上がらない。
 でも、このちょっとした思いの変化が
 現実を変えていく。。。【思いが変われば、現実が変わる】
 これは、引き寄せの原点ですよね。
 落語、おそるべしです。。。。ただし、この旦那
 風呂敷に荷物を入れた後で
 荷崩れしないように、ひもをかけるのですが
 そのひもを畳をはがしてある床の根太(まぁ家の一部ですね)ごと
 くくっているので、家ごとは持ち上がらない。。。わけです。
 ここらへんが落語なのですなぁ。笑えます!

 落語、、、たまにはどうですか?
 枝雀さんの落語は、かなり面白いです。
 【貧乏神】にはあやかしの可愛さが
 【雨乞い源兵衛】にいたっては、なんと人類に至る
 進化の歴史もきける。。。。
 
 さて。。最後は江戸落語から・・・
 先代の小さん師匠が得意としていた【粗忽長屋】
 粗忽者の八五郎が、浅草で行き倒れの死体を
 親友の熊五郎だと勘違い。
 「当人を連れてきますからぁ」と言って
 長屋に帰り、これまた粗忽者の熊さんも
 「そうかぁ。俺は死んでいたのかぁ」と
 涙ながらに自分の死体を引き取りに行く。
 で、行き倒れの死体を見て
 「まちげぇねえ。こりゃ俺だ。」と言って
 その死体を抱きあげて・・・
 「抱かれてるのは確かにおれだけど
 抱いてるおれはいったい誰だろう?」
 
 おぉぉぉどうよ!!
 「考えているのは確かに私だが
 考えている私に氣づいているのは一体誰だろう?」みたい?
 「考えているのは誰か?」という問いが思考をとめる。。。。と
 パパジは言った。
 ラマナ・マハルシややエックハルト・トールさんの世界と
 落語は、実は繋がっている??・・・・なぁんてね。
 しかし落語はシュールですよね。
 まっ、こんな大層なこと考えないで
 単純に落語で大笑い・・がいいですよね。
 笑う門には福きたる♪
 
 宿替え
https://www.youtube.com/watch?v=TF8i_aBI4Fk
 貧乏神
 https://www.youtube.com/watch?v=yjIe6tlBtTU
 雨乞い源兵衛
 https://www.youtube.com/watch?v=sDyexfx9Sec
 粗忽長屋
 http://lakugo.seesaa.net/article/300054077.html
 
Tao塾通信はにえかわかよこのTao塾のメルマガです。
聴いたこと、読んだことは、それが1秒前であっても
面白そうだと人に話す・・という癖があります。エピソードの原典やバックの理論など、まったく知らずにです。
ということで、もし、Tao塾通信のなかで話されたことに間違いを発見したり、エピソードの原典をご存じだという場合には、是非教えてくださいね。
 

投稿者 kayoko : 2016年01月02日 22:58 | トラックバック (0)

Tao塾通信☆No33☆2015/3/1☆

【Miracle of Love】脳を快にする方法☆

お正月になると、菩提寺ではないのですが
ちょっとしたご縁から、京都の浄土宗のお寺さんが
いつも日めくりの暦を送ってくださいます。

3月1日になって暦をめくったら
こんな言葉がでてきました。

【息抜く力 生き抜く力】

なるほどぉです。リラックスすることで
私たちは生き抜くことができる。
大変なことが起こったときには
つい肩に力が入り「どうしよう。。。
困ったことが起きた」と眉間にしわ寄せて
下を向く。その時には、身体のなかには
ストレスホルモンが流れ、頭は不快の2文字。
これでは良いアイデアも浮かびませんよね。
でも、この言葉のように息を抜く(リラックスする)ことができれば
私たちの生き抜く力が湧いてくる。

脳が快と判断すれば、学習回路ができる。。。と
脳型コンピューターの開発者である松本元さんは言っています。

 ~精神的な痛みを伴うために不快ととらえがちなことも
  「自分にとって価値がある」と思えば、脳は活性化され
  問題解決にむけて自律的に脳の回路が形成されていくのである~
   【愛は脳を活性化する】岩波科学ライブラリー

面白い!楽しい!自分のために良いことだ!と脳が判断すると
どんな大変な事態であっても、脳が解決への道をみつけ始めるってことですよね。
でも不快と判断したものを、快(自分にとって価値があるという感覚)へと変化させるのには
どうすればいいんだろう???、、、ですよね。

斉藤一人さんは、こんなシンプルな方法を教えています。

【困ったことが起きたら面白いことが起きたと
 言ってみな。。。。奇跡が起きるから】
 
 たった一言、言葉を変えるだけで
 脳の判断が不快から快にかわり
 学習回路ができる。ほんと???
 はい、ほんとうです。このメルマガを読むみなさんは
 すでに習慣になっているかたも多いと思いますが
 まだやったことがないっていうかたは
 是非、簡単ですから試してみてください。
 困ったことが起きたときに
 「面白いことが起きたなぁ!」って言うだけ。
 それだけで、身体の感じが変わります。
 そして、時には「面白いことが起きた」って言ったとたんに
 実は、その起こっていることは、まったく困ったことじゃないって
 氣づくこともあります。ラッキー☆  

 大昔、友人たちと【「有り難いことに」という言葉から
 心の会話を始める1日を過ごす】という遊びをやったことがあります。

 急いでいるときに道路を渡ろうとしたら赤信号に変わる、、、チェッ!ですよね。
 でも遊びだから「有り難いことに赤信号になったので・・・」
 と心のなかで言ってみる。すると全身全霊を傾けて有り難いことを探そうとする。
 「赤信号になったので、ゆっくりと呼吸を整えることができて焦りがおさまった。
 街の景色も楽しめた」なんてことがでてくる。
 たまには足元に落ちていた100円玉を見つけることもある。

 ランチを食べる予定のお氣に入りのお店が臨時休業、、、またしてもチェッ!ですよね
 それでも「有り難いことに、好きなお店が休みだったから・・・・」うぅぅぅ
 有り難いことが見つからない。。。でも、あきらめずに
 「ありがたいことに、、、」「ありがたいこと、、、、」を繰り返していると
 「あっ、いつもならいかない、あっちのお店にはいるチャンスをもらったわ。」
 なんて言えて、今まで、ちょっと入るのためらっていたお店に入る。そして
 そのお店が、とっても美味しかったりします。

 一人さんの言葉も、【有り難いことに】の遊びも
 起こることすべてを信頼するってことに
 繋がっています。
 起こったてぇことは、今は私に見えなくても、わからなくても
 必ずなにか良いことがある。。。って思ってみようよです。

 同じ体験をしても、起こることを信頼していると
 その結果得るものが、まったく違うことは
 すでに、みなさんご存じの通りです。

 こんなこともあります。
 知り合いから嫌な感じのメールがくる。いやですよねぇ。でも。。。
 すぐに返信なんかしちゃダメですよね!喧嘩になるだけ。
 (あっこれって、私のことですね。江戸っ子で喧嘩っぱやい。)
 まずは「面白いことがおこった。」と言って
 何回か、その嫌な感じのメールを丁寧に読み直す。
 すると、時に、私が勘違いしていただけで、相手はまったく
 私を傷つけようとか、嫌味を言おうなんてしていないことが
 わかることがあります。戦闘的な私の勇み足だったり
 または私のなかのペインボディが騒いでいたことに氣づきます。
 これは私の問題です。この一見嫌な感じのメールのおかげで
 そして、それを送ってくれた知り合いのおかげで
 そのことに氣づけた、、、、これが有り難いこと。
 私の心の癖を1つ手放せる。

 もちろん、相手が私に怒っていることもある。
 で、怒っている人は、【愛と怖れ】のジャンポールスキー博士曰く
 【愛を求めている】Love Seekerなわけです。
 Love Seekerと出会ったときに、私には選択肢があります。
 相手と同じくLove Seekerになるか、またはLove Giver になるか。
 時に、エゴの言う声に耳を傾けて相手と闘うこともあるし、
 ハッと氣づいて愛の目でみることを選ぶこともあります。
 どちらを選んでもいいのです。大切なのは
 選んでいるのは私だということに氣づいていること。
 選ぶ力は私にあるのです。
 そして、今どちらを選んでいるのかに氣づいていること。
 そうすれば、いつでも選びなおせる。

 もし、Love Giverであることを選んだときには
 こんな方法があります。相手のなかに神をみる方法。
 返信メールの書き出しに
 「メールをありがとうございました。」と書く。
 すると、なぜか自分でも驚くほどに
 優しくて闘わない言葉がでてくる。
 (いつもじゃないですよ~!でも、そういうことが多い)
  
 その人が攻撃的なメールをくれたおかげで
 相手をゆるすチャンスをもらえた。。。これが有り難いこと。
 なぜなら、All that I give is given to myself.
 *私が与えるものは、すべて私自身に与えられている。

 相手をゆるすことで、私は私をゆるすことができる。

 奇跡のコースでは、こんなふうに教えています。
    
     Giving is Receiving.
    ~与えることは受けとること~

 私が相手に微笑んだとき、その微笑みは相手に与えたのではなく
 私が私に微笑んでいる。だから相手がほほえみ返してくれなくても
 まったく問題はないのです。
 人に優しくしているとき、それは私が私に優しくしている。
 だから、相手から優しさが戻ってこなくてもいいのです。
 優しくした、その瞬間に、私は優しさを受けとっている。
 人に愛を伝えたとき、私は私が愛であることに氣づく♪
 
 もちろん微笑みも優しさも相手からも戻ってきたら
 やっぱり、それは嬉しいですよね♪

   "Teach only love, for that is what you are."
 ~愛だけを教えなさい。なぜなら愛とはあなたなのだから~
 
Tao塾通信はにえかわかよこのTao塾のメルマガです。
聴いたこと、読んだことは、それが1秒前であっても
面白そうだと人に話す・・という癖があります。エピソードの原典やバックの理論など、まったく知らずにです。
ということで、もし、Tao塾通信のなかで話されたことに間違いを発見したり、エピソードの原典をご存じだという場合には、是非教えてくださいね。
 

投稿者 kayoko : 2016年01月02日 23:10 | トラックバック (0)