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2016年01月02日

Tao塾通信☆No33☆2015/3/1☆

【Miracle of Love】脳を快にする方法☆

お正月になると、菩提寺ではないのですが
ちょっとしたご縁から、京都の浄土宗のお寺さんが
いつも日めくりの暦を送ってくださいます。

3月1日になって暦をめくったら
こんな言葉がでてきました。

【息抜く力 生き抜く力】

なるほどぉです。リラックスすることで
私たちは生き抜くことができる。
大変なことが起こったときには
つい肩に力が入り「どうしよう。。。
困ったことが起きた」と眉間にしわ寄せて
下を向く。その時には、身体のなかには
ストレスホルモンが流れ、頭は不快の2文字。
これでは良いアイデアも浮かびませんよね。
でも、この言葉のように息を抜く(リラックスする)ことができれば
私たちの生き抜く力が湧いてくる。

脳が快と判断すれば、学習回路ができる。。。と
脳型コンピューターの開発者である松本元さんは言っています。

 ~精神的な痛みを伴うために不快ととらえがちなことも
  「自分にとって価値がある」と思えば、脳は活性化され
  問題解決にむけて自律的に脳の回路が形成されていくのである~
   【愛は脳を活性化する】岩波科学ライブラリー

面白い!楽しい!自分のために良いことだ!と脳が判断すると
どんな大変な事態であっても、脳が解決への道をみつけ始めるってことですよね。
でも不快と判断したものを、快(自分にとって価値があるという感覚)へと変化させるのには
どうすればいいんだろう???、、、ですよね。

斉藤一人さんは、こんなシンプルな方法を教えています。

【困ったことが起きたら面白いことが起きたと
 言ってみな。。。。奇跡が起きるから】
 
 たった一言、言葉を変えるだけで
 脳の判断が不快から快にかわり
 学習回路ができる。ほんと???
 はい、ほんとうです。このメルマガを読むみなさんは
 すでに習慣になっているかたも多いと思いますが
 まだやったことがないっていうかたは
 是非、簡単ですから試してみてください。
 困ったことが起きたときに
 「面白いことが起きたなぁ!」って言うだけ。
 それだけで、身体の感じが変わります。
 そして、時には「面白いことが起きた」って言ったとたんに
 実は、その起こっていることは、まったく困ったことじゃないって
 氣づくこともあります。ラッキー☆  

 大昔、友人たちと【「有り難いことに」という言葉から
 心の会話を始める1日を過ごす】という遊びをやったことがあります。

 急いでいるときに道路を渡ろうとしたら赤信号に変わる、、、チェッ!ですよね。
 でも遊びだから「有り難いことに赤信号になったので・・・」
 と心のなかで言ってみる。すると全身全霊を傾けて有り難いことを探そうとする。
 「赤信号になったので、ゆっくりと呼吸を整えることができて焦りがおさまった。
 街の景色も楽しめた」なんてことがでてくる。
 たまには足元に落ちていた100円玉を見つけることもある。

 ランチを食べる予定のお氣に入りのお店が臨時休業、、、またしてもチェッ!ですよね
 それでも「有り難いことに、好きなお店が休みだったから・・・・」うぅぅぅ
 有り難いことが見つからない。。。でも、あきらめずに
 「ありがたいことに、、、」「ありがたいこと、、、、」を繰り返していると
 「あっ、いつもならいかない、あっちのお店にはいるチャンスをもらったわ。」
 なんて言えて、今まで、ちょっと入るのためらっていたお店に入る。そして
 そのお店が、とっても美味しかったりします。

 一人さんの言葉も、【有り難いことに】の遊びも
 起こることすべてを信頼するってことに
 繋がっています。
 起こったてぇことは、今は私に見えなくても、わからなくても
 必ずなにか良いことがある。。。って思ってみようよです。

 同じ体験をしても、起こることを信頼していると
 その結果得るものが、まったく違うことは
 すでに、みなさんご存じの通りです。

 こんなこともあります。
 知り合いから嫌な感じのメールがくる。いやですよねぇ。でも。。。
 すぐに返信なんかしちゃダメですよね!喧嘩になるだけ。
 (あっこれって、私のことですね。江戸っ子で喧嘩っぱやい。)
 まずは「面白いことがおこった。」と言って
 何回か、その嫌な感じのメールを丁寧に読み直す。
 すると、時に、私が勘違いしていただけで、相手はまったく
 私を傷つけようとか、嫌味を言おうなんてしていないことが
 わかることがあります。戦闘的な私の勇み足だったり
 または私のなかのペインボディが騒いでいたことに氣づきます。
 これは私の問題です。この一見嫌な感じのメールのおかげで
 そして、それを送ってくれた知り合いのおかげで
 そのことに氣づけた、、、、これが有り難いこと。
 私の心の癖を1つ手放せる。

 もちろん、相手が私に怒っていることもある。
 で、怒っている人は、【愛と怖れ】のジャンポールスキー博士曰く
 【愛を求めている】Love Seekerなわけです。
 Love Seekerと出会ったときに、私には選択肢があります。
 相手と同じくLove Seekerになるか、またはLove Giver になるか。
 時に、エゴの言う声に耳を傾けて相手と闘うこともあるし、
 ハッと氣づいて愛の目でみることを選ぶこともあります。
 どちらを選んでもいいのです。大切なのは
 選んでいるのは私だということに氣づいていること。
 選ぶ力は私にあるのです。
 そして、今どちらを選んでいるのかに氣づいていること。
 そうすれば、いつでも選びなおせる。

 もし、Love Giverであることを選んだときには
 こんな方法があります。相手のなかに神をみる方法。
 返信メールの書き出しに
 「メールをありがとうございました。」と書く。
 すると、なぜか自分でも驚くほどに
 優しくて闘わない言葉がでてくる。
 (いつもじゃないですよ~!でも、そういうことが多い)
  
 その人が攻撃的なメールをくれたおかげで
 相手をゆるすチャンスをもらえた。。。これが有り難いこと。
 なぜなら、All that I give is given to myself.
 *私が与えるものは、すべて私自身に与えられている。

 相手をゆるすことで、私は私をゆるすことができる。

 奇跡のコースでは、こんなふうに教えています。
    
     Giving is Receiving.
    ~与えることは受けとること~

 私が相手に微笑んだとき、その微笑みは相手に与えたのではなく
 私が私に微笑んでいる。だから相手がほほえみ返してくれなくても
 まったく問題はないのです。
 人に優しくしているとき、それは私が私に優しくしている。
 だから、相手から優しさが戻ってこなくてもいいのです。
 優しくした、その瞬間に、私は優しさを受けとっている。
 人に愛を伝えたとき、私は私が愛であることに氣づく♪
 
 もちろん微笑みも優しさも相手からも戻ってきたら
 やっぱり、それは嬉しいですよね♪

   "Teach only love, for that is what you are."
 ~愛だけを教えなさい。なぜなら愛とはあなたなのだから~
 
Tao塾通信はにえかわかよこのTao塾のメルマガです。
聴いたこと、読んだことは、それが1秒前であっても
面白そうだと人に話す・・という癖があります。エピソードの原典やバックの理論など、まったく知らずにです。
ということで、もし、Tao塾通信のなかで話されたことに間違いを発見したり、エピソードの原典をご存じだという場合には、是非教えてくださいね。
 

投稿者 kayoko : 2016年01月02日 23:10

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