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2013年06月14日

Tao塾通信 No25 2012/01/23

新年☆おめでとうございます☆
2012年が、みなさまにとって喜びにみちた
笑顔あふれる1年でありますように!

めでたいので落語からスタート♪
 
堅物の大店の旦那が、ちょっとは柔らかくならないと
商売にも差し障ると言われて、洒落がうまいと評判の
番頭を呼びだして、洒落の勉強。

 旦那:おまえは洒落がうまいそうだね。私にも聞かせておくれ。
 番頭:洒落っていうのは、これとこれで洒落てくれって
    お題をいただいてやるものなので、お題をください。
 旦那:ほぉぉ、じゃぁ今、庭に蟹が歩いているから
    それで洒落ておくれ。
 番頭:庭に蟹・・庭に蟹・・庭に・・
    にわかには洒落られません・・てぇのは
    いかがでしょうか?(してやったりと自慢げ)
 旦那:なんだい?名人上手と聞いていたが、
    にわかには洒落られないのかい。
    ちっとも名人じゃないね。
   *ちなみにお若い方々、【にわかに】っていうのは
    【急に】という意味です。
 
洒落が見えない堅物旦那は不満。
洒落が通じないってぇのは洒落たほうには辛いもんで。
で、このあと、いくつか旦那からだされたお題で
同じように番頭は見事に洒落を言うのですが
やっぱり旦那はわからない・・・で、そばにいたおかみさんが
とうとう旦那に説明をする。
「これは、なんでおかしいかというと」・・・って
いうの先代の林家三平さんの得意技でしたね。
番頭はちゃんと洒落ていたんだから、今度、番頭が
何かいったら笑いなさい・・・と教えられる。
 
 旦那:すまなかったねぇ。洒落ているのに氣づかなかった。
    こりゃ私が悪かった。今度は、笑うから
    もう1回だけ洒落ておくれ。
 番頭:そう急に言われても、洒落られません。
 旦那:うまい!!面白いねぇ!(嬉しそうな顔♪)

もちろん、最後の番頭の言葉は洒落でもなんでもないわけです。
でもね、今度こそなにがなんでも笑おうと思っている
この旦那の姿勢は、なんとも可愛いなぁって思います。

ジャンポルスキー博士の自己変容の12のレッスンの3番目に
【I'm never upset for the reason that I think.】というのが
あります。(私が心騒ぐのは、自分が思っているような理由からではない。)つまり、あの人が○○したから、私は今、こういう嫌な氣分なんだっていうのは間違っているっていうことですね。
【私たちが何を見るかは、私たちが心の中で
 どう思っているかによって決まる】というわけです。
私の心が決めている通りの現実を、私は見ている。

正月は、前年の1年間の思いをリセットして(正して)
まったく新しい氣持ちでスタートする月という意味だそうです。
自分の内側をじっくりと時間をかけて丁寧に観つづけて
感謝をこめて、今は、もう不要になったものを手放し
新たに、この1年をどういう心で生きるのか決心する月のようです。

1年の計は元旦にありで、良いことだけイメージしよう!!っていうのも
とっても素敵なので、それも大賛成♪
それに今日は2012年の初めての新月だしね。
 http://taojuku.com/blog/2009/08/taono2_2009320_1.html

でも、もし、ちょっと心に余裕があって
やってみようと直観がゴーサインをだしたら
自分のなかのネガティブな思いを
ちゃんと観てあげることも大切です。
2012年の正月に
2011年に感じた不安や怖れを、もう1度だけ
しっかりと観てあげるのもいいかなと。
1番、怖れていることや不安に思っていること、
自分にとって1番、そうなってほしくない状態を
きちんと手にとって観てみるわけです。
その時に、自分の身体がどう感じるのか
ちょっと体験してみる。
どうです?たまには。そういうのも。
不安や怖れは、つい観たくないものにしてしまいます。
そりゃそうですよね。私もそうです。
引き寄せなんて学んじゃうと
なおさら、ネガティブは避けよう!って思いますものね。

でも、辛い体験や悲しい出来事が、私たちを光の方向に
導いてくれるのと同様に、私の持っているネガティブな思考や感情も
私を立ち止まらせ、魂が喜ぶ方向へと押しやってくれている。。。と
思ってみようよです。
ネガティブな感情やマイナスな思考をちゃんと観ると
「あっちに行け!」って私たちを導いてくれている
不動明王さまが見えるかもしれませんね。

87才になる母は東京の大空襲のときに
浅草に住んでいました。大壊滅した地域です。
燃える火に追われて橋を渡ろうとしたときに
一人の兵隊さんが軍刀を抜いて、橋の中央に立っていたそうです。
そして「戻れ!!この橋は渡るな!燃えているほうに戻るんだ!」と
叫んでいたそうです。みんなは燃えていない川の反対側に逃げたくて
夢中で走っていたのですが、この兵隊さんの軍刀に怯えて
元の方角に走って逃げたそうです。
で、実は、この橋を渡った人たちは、たくさん亡くなったのです。
母たちが逃げてきた場所は、すでに燃えてしまっていたので
そのあとは鎮火していったのです。
逃げていこうとした方向は、まだ燃えていなかったので
このあと、大火になったのです。
母や一緒に逃げていた人たちにとって、
この名前もわからない軍刀の兵隊さんは
命の恩人です。
でも、逃げようとしたときには、刀でとめた
この人は極悪非道の鬼のように見えたでしょう。

こんなに劇的ではありませんが、私たちは
氣づいていても氣づかなくても
すべての体験によって、そして、すべての人や
出来事によって支えられているのです。

順縁の菩薩も逆縁の菩薩も、ともに菩薩☆
私が、それに氣づくか氣づかないか・・・

やさしくしてくれる人も蹴飛ばしてくれる人も
ポジティブな感情もネガティブな感情も
プラス思考もマイナス思考も
すべてが私であり、すべてが愛・・・なのですよね。
それがわかるときもあれば、わからないときもある。
私は今、どんな目で現実を見ようとしているのか?
どんな目を通して見ているのかに氣づけば
選択しなおすこともできる。

【I can elect to change all thoughts that hurt.】

【私】は何をみているのか・・・
【私】は心の中で何を見ようと決めているのか・・・

まずはお正月、じっくりと自分の内側を観るっていうのはどうですか?
観ることは愛です。みつづけることは愛し続けること☆
そして、何を観ているのかに氣づいたら
あなたの魂が1番喜ぶ選択をしてください。

【I am responsible for what I see.】
さて、今年、私は何を観ることを意図しよう。

    ☆氣づきは人を自由にする☆

Tao塾通信はにえかわかよこのTao塾のメルマガです。
聴いたこと、読んだことは、それが1秒前であっても
面白そうだと人に話す・・という癖があります。エピソードの原典やバックの理論など、まったく知らずにです。
ということで、もし、Tao塾通信のなかで話されたことに間違いを発見したり、エピソードの原典をご存じだという場合には、是非教えてくださいね。
 
 

投稿者 kayoko : 2013年06月14日 22:27

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